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ブルネイ・ダルサラーム国

ブルネイ人に尊敬される日本人・木村強氏

今でこそ世界有数の裕福な国として知られているブルネイですが、かつては世界で最も貧しい国の1つでした。

この成長の陰には、ブルネイの生活だけでなくブルネイ人の心も変えた日本人の存在がありました。
彼の名は、木村強氏です。

太平洋戦争の最中、日本は1941年頃からアメリカ、イギリス、オランダが植民地とする東南アジアの島々を占領していきました。
1942年5月、イギリスが占領していたブルネイにも侵攻、「日本国ブルネイ県」と制定し日本の統治下にしました。
そのブルネイ県知事に任命されたのが木村氏です。
木村氏は県庁で商工課長などの要職を歴任してせいましたが、大戦中は軍の意向を受け、占領地の行政を行う司政官としてブルネイに配属されました。
木村氏はブルネイに到着後、まずは当時のアハマド・タジュディン国王に現地の事情に明るい秘書を所望し、オマル・アリ・サイフディンを秘書として付けてもらいました

そして、改革的な統治に着手し始めました。

 

それまでブルネイを統治していたイギリスは油田開発のみに集中、しかもその利益もブルネイに落ちずにイギリスが独占していました。
その為、ブルネイ国民の多くは貧しい生活を送っていました。
日本も油田の確保が目的なのは明らかだったので、秘書についたオマル青年も、木村氏が油田目的の統治を行うと考えていました。
しかし、木村氏の行動はオマル青年の予想を大きく裏切るものでした。                                                         木村氏はまず、一般的なブルネイ人が暮らす貧しい村を視察し、彼らの生活を改善しようとし始めたのです。

当時のブルネイはジャングルに覆われ、道路も通っていないような状況でした。
また、ブルネイの国土の大半を占める熱帯雨林にはゴムの木が豊かに自生していましたが、現地の人々が細々と採取しているだけでした。
そこで、木村氏まず軍の資金で天然ゴムの工場を設立、多くのブルネイ人を正当な賃金で雇用しました。
そして、工場で得た収益で道路や水道、通信などのインフラ整備を次々に進めました。

 

木村氏は石油の確保という日本政府の意向を遂行する為にも、まずはブルネイ人との信頼関係を築き、彼らの生活を向上させることが大切だと考えたのです。
そうすることによって日本も石油を確保しやすくなり、日本とブルネイが共に豊かになると信じていました。
とはいえ、工場の設立は軍の資金によって賄われているため石油以外に使えば、左遷や投獄の可能性もありました。

当時の日本は、資源採掘や食料確保の為に占領した東南アジアの国々で過酷な労働を現地の人々に強いることもありました。

その為、木村氏のやり方は生温いと軍から批判されることもありました。
それでも、木村氏は信念を曲げませんでした。                                                       日本人の言動や行いが後世の人々に笑われることがあっては決してならないと、ブルネイ人の生活改善を第一に考え、紳士的なふるまいを崩しませんでした。

そんな木村氏の姿を身近に見ていたオマル青年も、次第に木村氏に最大限の信頼を置くようになっていったのです。
いつしか木村氏はブルネイの人々に尊敬される存在になっていきました

 

また、木村氏は多民族国家で民族ごとに対立のあったブルネイにおいて、部族の関係も改善していきました。

数ある民族のうちの1つイバン族は、昔から首狩りの風習があり、マレー人と殺し合いをしてきた野蛮な部族として最も敬遠されていました。

木村氏はそんなイバン族のもとに何度も何度も訪れ、和解を試みました。                                            しかし、戦時中に日本軍がイバン族の地域に侵攻を試みたこともあり、イバン族は日本人を敵視していました。

その為、何度訪れてもすぐに追い出されてしまいました。                                                    それでも木村氏とオマル青年は、何度も何度もイバン族のもとへ足しげく通い続けました。

その一方で、木村氏は「マレー人がイバン族を受け入れなければ、彼らも何も変わらない」と国王にイバン族の地位向上を訴え、自らもイバン族の村でインフラ整備を続けました。

そんな木村氏の熱意がイバン族にも伝わり、やがてイバン族も木村氏を手伝うようになり信頼するようになっていったのです。

そして、「木村が言うなら」とイバン族とブルネイ王家が歩み寄った為、マレー人と他の部族との関係も改善されていきました。

小さな国で多民族がいがみ合っていたブルネイを、1つにまとめていったのです

 

木村氏がブルネイ県知事に就任して1年余りで軍の命令によりブルネイを離れることになりましたが、ブルネイにとってはそれまでの生活が一変し、国の基礎が出来上がった1年でした。

木村氏は別れの時のことを手記にこう綴っています。

ブルネイには僅か一年位しかいなかったが、送別会を催してくれた現地人の幹部が男泣きに泣いているのを見て、私も泣いた。

そしていよいよ出発の日に約一時間半ほど、王および弟(現在の王)、政府の幹部が見送って別れを惜んでくれているのを目のあたりに見て、我れながらこれほど信頼してくれたのかと思って、嬉しい気持ち、有難い感情、また、淋しい感情を錯綜して自分も泣いたほどであった。
私は過去一年間行なった事が、多少とも現地の為になったのかと内心満足し、ほっとした感じになった。

 

1964年、宮城県に戻り検事の職に就いていた木村氏のもとに、ブルネイ国王に面会した商社マンの知人から1通の手紙が届きました。
それは、ブルネイ国王があなたに会いたがっているという内容でした。
しかし、木村氏の体調は優れず、ブルネイに向かうことに不安を抱いていました。

そんな木村氏の為に国王は軍用機の迎えを寄こして下さり、木村氏は22年ぶりにブルネイに渡り、新国王と面会することが出来ました。

その新国王こそ、当時秘書をしていたオマル青年でした。

オマル青年は、木村氏が県知事をしていた当時の国王の弟であり、兄の遺志を継ぎ新国王となっていたのです。

オマル国王は木村氏にこんな言葉をかけてくださいました。

「この国を立派に成長させることが出来ました。あなたのお蔭です。」

 

木村氏が築いた日本とブルネイとの深い信頼関係は、今でも強く結ばれています。

ブルネイの天然ガスの輸出総量のうち、約9割を日本に向けたものです。

また、東日本大震災の際にはオマル国王の息子であるハサナル・ボルキア現ブルネイ国王から100万ドルの義援金が送られた他、民間からも約2,400万円の義援金が届きました。

(2016.1)

実は超金持ち国

豊富な石油と天然ガスのおかげで、裕福な国と言われるブルネイ。

国だけが大金持ちなのは珍しくありませんが、ブルネイの場合はその恩恵を国民全てが受けてる凄い国です。

 

どれだけ国民に還元されているかというと・・・

人口35万人全員

・教育費 → 無料

・医療費 → 無料

・取得税 → 無し

・成績が良い人 → 英米留学が無料

・住宅ローンの金利 → 年0.5%と低い

*ブルネイ国民以外に外国人にも適応

その生活水準たるや、かなりのものです。

 

また、ブルネイ国王であるハッサナル・ボルキア国王の資産は約4兆円といわれ、アメリカの経済誌「フォーチュン」でかつて世界一の資産家に選ばれました。

その為、数々の金持ちエピソードも・・・

①所有する高級車は5,000台を超える

②1994年、自身の50歳の誕生日に合わせて東南アジア最大級の遊園地

 「ジュルドンパーク」を個人資産で建設し、6年間無料開放

③馬好きで、冷房完備の厩舎でポロ用の馬を飼育

 馬を運ぶ専用のジェット機を保有

④国王の住む王宮の建設費は、なんと5,400億円!!

 王宮の部屋数は1,788室

そのお金持ちぶりを示すエピソードは、枚挙にいとまがありません。

 

ブルネイ沖の海底から湧き出す原油と天然ガスは、1984年のイギリスからの独立以来、政府が株式の50%を保有する石油会社ブルネイ・シェルが一手に引き受け、その大半が日本に輸出されています。

原油の4割、天然ガスにいたってはその99%が日本に送られています。

お金持ち国ブルネイと私たち日本は意外なところで結びついるのです。

(2015.12)

金曜日午後の注意

ブルネイでは毎週金曜日は、集団礼拝の時間(12:00~14:00)になります。

この間、一切のビジネスや集会、イベントが規制されています。

会社、店、銀行、スーパー、ショッピングモールなどすべて一時閉鎖、閉館。

空港のチェックインカウンターは、通常通りですが、空港内のレストランやファストフード、両替所、お土産店なども、多くの店がこの時間帯はクローズしているので要注意。

酒が売っていない国

ブルネイはイスラム教が国教ですので、豚肉を食べません。

また、牛、羊、鶏など肉もハラル肉(イスラムの律法に則って処理した肉)以外は食べません。

 

戒律に厳しく、お酒も公には飲めずブルネイ国内で購入することはできませんが、外国人の場合は特例で、お酒の持ち込みが可能です。

・17歳以上のイスラム教徒以外に限る

・ビール12缶とボトル類2本まで

現地では、公共の場での飲酒も禁止されているため、ふだん、街中で酒類を見かけることはありません。

家庭で飲むのが一般的です。

その為、旅行者もお酒はホテルの客室内でこっそり飲むのがいいでしょう。

 

では、お酒が飲みたいブルネイのイスラム教徒以外の人達は、どうするのでしょう?

彼らはお酒を手に入れるために、わざわざ車で国境を超えます。

ブルネイの市内から一番近いマレーシアへの国境は約45分ほど。

国境を越えるとすぐに、ブルネイから来る外国人用のお酒が販売されており、週末はお酒購入の人達の渋滞で混み合います。

また、彼らはお酒購入の為、出国・入国を繰り返すので、パスポートのページがすぐにスタンプで一杯になってしまいます。

(2015.12)

手招きは失礼

人さし指で指し示したり(通常、右手の親指を使います)、手招きをすることは失礼にあたります。

物や人を指すのには、代わりに親指を使います。

左手は不浄とされていますので、物の受け渡しには右手を使います。

おつりを受け取る際や、贈り物、特に食べるものを渡す際は気をつけましょう。

また、目上の人の前で脚を組むのもマナー違反です。

(2015.12)

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☆印付のタイトルは、タイトル部分をクリックすると情報源サイトに移動します。

ブルネイにある
超豪華
7つ星ホテル

ブルネイの国王が所有する豪華ホテル

高い天井のロビーに、床が大理石、装飾は24金を使用した豪華なエントランス、ゴルフ場、5つのプール、映画館、ボーリング場、ジム、スパなどの豪勢な造りで、1日では回りきれないほどの広大な施設を完備しています。

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Brunei Darussalam

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